息子がアルコール依存症になった日・・母の記録【第一弾】

自慢の息子が アルコール依存症になって別人に。そして第2のアルコール依存症・元夫(父親)に苦しめられた慟哭の実録

新型コロナウイルスで最初の緊急事態宣言が出た2020.4頃に長男は重度のアルコール依存症を発症した。
【第一弾】単身赴任先(大阪)でアルコール病棟に3か月の入院、私の居住地(埼玉)で通院先探しを2か月間。
アルコール性肝硬変症で父親の居住地(福岡)で内科に1か月の入院。退院後再々飲酒。

元夫は最初飲酒絶対肯定派で、訴えても訴えても息子の深刻な病状や相談を全く聞き入れず
私の苦しみは何倍にも何倍にも何倍にもなった。程度は違えど元夫もアルコール依存症だった。
壮絶なすったもんだの末、息子は私の元を離れ、リハビリのため元夫の経営する小さな会社で
仕事の手伝いをする約束で父親と共に暮らすようになった。
けれど2020.11.13初診で肝硬変の診断、即入院。そして依存症も肝硬変も悪化して2021.1.28~4.20再々入院
悪夢の様な★息子の信じられない症状 ★元夫の信じられない言動
悲しくて、辛くて、憎くて・・・母親として一生分涙を流した8か月間。
くしくも2度目の緊急事態宣言が出た日から一気に書きました。 少しでも前を向くために。
アルコール依存症は家族を疲弊させます。
「地獄を見たければアルコール依存症の家族を見ろ」という言葉もあります。
ブログで発信することが病んだ私の回復方法でもあります。なるべくありのままに書きました。
酒飲みのご家族が「おかしいな?」と思った時、本人が治療を拒否した時、目にとまれば幸いです。
アルコール依存症が原因で死に至る病気・事故は数知れません。
手遅れにならないために。。。
※第一弾は2020年4月~2021年初旬までの記録です。
<第二弾・三弾・四弾。息子がアルコール依存症になった日・・・回復を信じて
(このブログは仮名です)

A-6.【2020.6.4~6.17】内科→精神科Fax→保健所→アルコール専門クリニック

息子は「アルコール依存症」と診断されました。

「自分がおかしいのはお酒のせいだとわかっている。でも通院も入院もしない。(コロナが収まって)会社や社会が元のサイクルに戻れば、また前の様に飲酒のコントロールができる」長男はクリニック初診でこう言い放ちました。

  • 6月4日、 かかりつけの内科で精神科のある病院への紹介状を書いてもらう。
    アルコール関連疾患・双極性障害の疑い
  • 紹介状を精神科にFAX送信相談するが、当院はアルコール関連の科はないのでと
    保健所に相談に行くように言われる。
  • 6月15日、保健所へ心の相談。専門クリニックを紹介される
  • 6月17日、何件かあたって、ようやく予約が取れたクリニック初診

    土地勘のない大阪を走り回った2週間。なぜ保健所?精神疾患やアルコール疾患は保健所相談だと言う事も私は全く知りませんでした。長男は不機嫌?鬱?であるか泥酔しているかで連れて行くのも一苦労でした。それでも対先生や相談員さんなら割としっかり対応します。
    内科でも保健所でも「お母さんの心配しすぎ」のようなことを言われましたが、私はどうしても長男の言動がおかしい、こんな子ではなかったと訴え続けていました。
  • 最後のクリニックは泥酔状態で行きました。前日から気にしているようでクリニック攻略を考えているようでしたし、こういうところに行く時にお酒をあおってしまうようでもありました。着いても受付に健康保険証すら自分で出しません。それでもクリニックの先生は「ここに来ただけでも可能性がありますよ」と言ってくださいました。それほどアルコール依存症の患者に治療を説得するのは難しい事のようです。
  • 長男は「通院も入院もしない」と断言して再診の予約は取らずに帰ることになりました。
    長男が勤めている会社は、大きな会社で1年半くらい疾病給付金としての給料が保障されています。けれど産業医もいて社員の健康管理は徹底しており、休職中も治療状況等報告しなければなりません。病気療養としての休職なのに会社にはどう説明したらいいのでしょうか?

f:id:sakenomitama:20210808150235j:plain※【アルコール依存症】と診断されての帰り、タクシーの中から子供のころに訪れたことのある太陽の塔が見えた瞬間、私はどっと涙があふれ声を殺して泣きました。隣に座っている長男はそんな私を見ていましたが表情の乏しい顔で無言でした。